オタクは世界中の人間がオタクになればいいと思っていますか?

http://www.asahi.com/culture/news_culture/OSK200703010061.html
これは、う〜ん、自分たちがやっていることだからいいけれども。それにオタクに当地の文化に興味を示すタイプの人間が多いのも何となく分かるけども。

僕は去年の夏に「ひぐらしのなく頃に」の舞台、「雛見沢」のモデルになった岐阜県白川郷に行ってきました。もちろんそこには「ひぐらし」のイラストやなんやらというものはありませんでした。あったらやだなあ、いずれそんな風になったらやだなあと思います。

やっぱりアニメとかそういうオタクに準じる趣味って子供っぽいものですよ。特にそれをアニメの外で援用したりしたときにはそれが際立ちます。例えば「攻殻機動隊」でも、少佐のイラストがこのびんちょうタンのポジションにあったとしても気恥ずかしさを覚えると思うんです。

絵が恥ずかしいというのもあります。でもその他にも、大勢の人間が分かってくれないことを前提にして、こういうのを薦めるオタクの意識が恥ずかしいというのもある。つまり「なんでわからないんだよぉー」という子供っぽさ。あまりに純粋すぎる心が痛いのです。テレビで中川翔子を見ているときの心のつらさと似てる感じです。かたはらいたしって感じです。

オタクはどーせネタで来ているのだし、あざとかったら逆に離れていきそうな気もするしなあ。



もちろんどかんとこの景色の中にアニメが入ってくるわけじゃない。そういう訳じゃないにしても、オタクの欲望を利用することで、景観と目的が逆転を起こしてしまいそうな危うさが怖いのです。

僕も白川郷には舞台訪問として訪れたのですが、それはあくまで現実の白川郷に雛見沢を見に行った訳です。現実の白川郷を「あえて」雛見沢として楽しむ。しかし、白川郷が町を雛見沢として売り出したらどうか。こっちは白けちゃうんと思うんです。

人間はそんなものを用意されなくても自由に楽しむことが出来るのですから、
「はいこれどうぞ、こういうのが好きなんでしょ?」
と言われると、
「む、そんなん欲しくねえよ!」
と言う気になります。自主性を侵害されたような気になるんです。

まあでもこれは町おこし側の問題であって、オタクの問題ではないからなあ。とは言え、やはり自治体にオタクが混じりこんでいるという事も十分に考えられます。そのオタクがご老体を唆して町をオタク色に染め上げようとか言う野望を持っているのなら、そういう事に対して「NO!」を突きつけるオタクもいなくてはならないと思います。

オタクは総じて一般人に対して捻れた思いを持っているというイメージがありますが、多分実際はそうでもないと思うんです。もしいるとしても、それは「オタクは一般人に対して敵意を持っていなければならない」というネット上やオタクコミュニティなどでの「あえて」の作法をベタに捉えてしまった子羊だと思うので、そういう人たちは自らの心にもう一度問いかけるべき。ただし本当にオタクであることで不利益をこうむった人も存在すると思うので断言は出来ないんですが。

でもまあそういう事で、オタクと一般人も普通に共存するこの社会、オタクだけが蔓延れば良いと言うのは間違った思想だと思います。それぞれの趣味があるし、それぞれの嫌いなものもある。だから公共の場では基本的に誰の目にも心地の良い、最大公約数的なものが望まれると思うのです。個性をつぶせと言うわけではないのですが、少なくとも地方自治体の観光地をアニメ色に彩るのはどうかと。秋葉原はアニメそのものが売りで、そういう人が集まる街としてすでに形成されてしまっているので構わないけど。

だから、まあほどほどにね。というはなし。