怒髪天を突く

ひぐらしのなく頃に祭」の批判は散々してきたのですが・・・。
僕のバイト先の先輩だった人が「ひぐらしのなく頃に祭」をプレイしているらしく、その話を聞く機会がありました。しかし話を聞いていると何か妙な違和感が。「綿流し」についての話題はきいたのですが、「鬼隠し」についての話題がない。まさかこれはと思い訊いてみるとやはり「鬼隠し」は未プレイだったそうで、さらに次は「目明し」をやり始めているところだという。
「嘘だッ!!」
僕は怒り狂いました。(このネタも通じないでしょう)
ひぐらしのなく頃に」は出題編である「ひぐらしのなく頃に」と解答編である「ひぐらしのなく頃に解」で構成されています。しかしその出題編も終わらないうちから解等編をやるなんて許されるのか!いいや許されない!
必死に説き伏せて何とか原作をやってくれると諒承してもらったのですが、あまりの怒りに友達にこの話をしたら二人とも「それは損してるなー。初プレイは人生で一回しかないのに」と言ってくれました。やっぱり既プレイの人間は誰でもそう思うのかと安心しました。
以前も言ったとおり、ひぐらしは順序にそって情報が蓄積される事で、視点キャラクターとは違うメタ的な視点も楽しめる作りになっているので、順序がバラバラになってはそこに出てくる情報の必然性を読み取ることができずに面白さが半減してしまうと思うのです。分かりやすく言うと「祟殺し」で監督が登場する時、「鬼隠し」をやっているかいないかで、心境がまったく変わるでしょう。
ひぐらし祭」については散々悪口を言ってきましたが、実際の被害者を目の当たりにして、実感しました。これは「悪」です。原作信者と言われようがとにかく原作をやればいいのです。原作しかやらなくていいのです。あ、ごめん、「ひぐらしデイブレイク」はやるべきだわ。