さっきの続き(リアルで「アホの子」に最も近い存在はオセロの松嶋だと思います。)

「アホの子」が「素直」で、かつ「常識を著しく逸脱しない」存在だと言いました。それをまとめると行き着くのは「子供っぽさ」なのではないかと思い至りました、今。

天然はキャラクター個人の性質なので、子供っぽさとは関係ないですもんね。

そして「子供っぽさ」が萌えとして成立するには実際の子供ではいけないわけです。萌えがギャップによるものであるなら、ある程度年齢的に大人でなくてはならない。

つまり通常ならば大人になるにつれて多少スレたりしていくところが、「アホの子」は童心を忘れない訳です。それはとても貴重なことで、「かってに改蔵」の「初心さま」の話と通じるところがあります。

物事を穿って見る女性に対する、素直に感動できる女性の魅力。

女性と映画を見に行ったとして

「アレって○○のパクリだよねー」

とか言うより

「凄く面白かったね!」

と素直に言う女性の方が良いと思いません?まあ一概には言えないでしょうけど。

そういう部分をマンガ的にデフォルメしたのが「アホの子」だと。

ドージンワーク」でかねるが寝ようとしているなじみを「ねーねー」という感じで起こそうとするシーンがありますが、普通大人であるならそんな事はしません。

つまり「アホの子」のボケの根幹には「大人になったらしなくなること」と言うのがあるのではないか。

そう考えると、榊さんはかなりの「アホの子」として完成系に近いような気がしてきましたね。あんな外見で子供向けの映画でボロ泣きしたり。まあそれを「アホの子」と結びつけるのは言葉が悪すぎて心が痛いですが。でも「猫は狭いところが好き」というのを聞いて自分の机の引き出しを覗き込むのは「アホの子」だと言えるのではないでしょうか。

ちなみに僕は読子・リードマンも大好きですが、彼女も大人なのに蒐集癖という、いわば子供っぽい部分を持っていますね。加えてビブリオマニアであるなら賢そうになっても良いはずが、逆に子供っぽい性格であるところなんか、変に気取らず作品を楽しんでいるんだなあという感じがしてとても良いです。

「アホの子」の代表格であるつかさも高校生にしては似つかわしくない子供っぽさを見せ付けてきますから、やはりそこらへんの部分に特化したジャンルなのではないでしょうか、「アホの子」って。


しかしやはりここら辺のことも既にどこかに書いてあるのだった。ううむ、笑い男現象。自分が恥ずかしい。