就職活動に見られる人の3類型やそれに関して思うこと
目下就職活動中の僕です。
就職活動となると
プレエントリー→エントリーシート提出→筆記試験→面接→内定
という流れになるのが一般的です。
実に煩雑な手続きがいるもんだと思いますが、企業側も採れれば誰でもいいってもんではなく、それなりに優秀な人材を採用しようと思っているのだからそれなりのコストをかけて慎重に選びたいらしいです。
しかし学生側としてはめんどくさいこと限りない。正直取り立てて何かを築いたものがある人間というのもそういないと思います。「大学在学中に何に力を入れましたか?」という質問を良く見かけますが、これに対して澱みなくスラスラ回答できる人間というのはそう多くないのではないでしょうか。
この設問に対する模範解答はどのようなものなのでしょう。
こういう疑問に発して、就職活動に見られる人物を3つの類型に分けて見たいと思います。
其の壱:情熱・啓発型
最近良く思うのですが、就職関連のイベントで積極的に動いている人間というのはどことなく僕とは異質な人間のように思えます。率直に言えば仲良くなれないし好きになれないし気味が悪いとさえ思います。
人間、自分が聖人君子だなんて思っている人間はそういません。自分のあり方に疑問を持ち、社会との違和感を覚え、苦悩を抱えているのが普通だと思います。自分の意見を自信を持ってハキハキ言う人間なんて人間性が感じられないように思えてしまいます。つまり自らの内面を問われる就職活動というものに対して物怖じしない人間というのは、自らに絶対的な自信を持っているように映るのであり、どことなく心が人と違う人間なのかなという風に見える。
イメージで勝手なことを言うなら、彼らは負の出来事もプラスの糧とする傾向があるように見える。碇シンジくんの「おめでとう、おめでとう」じゃないけど、「苦境を乗り越えた自分」に価値を見出すような人がイメージされます。よーするにちょっとセミナー的に見える人。
其の弐:割り切り・インテリ型
就職活動をシステム的に捉え、賢く行動しようとする人たち。何万人もの人間から百に満たない内定者を選ぶのだ、テクニックとして自分を目立たせる工夫をするべきと思案するタイプ。自分を合理的と思っている。この間、就職関係のイベントの打ち上げに参加したとき、僕の所属大学を言うと鼻で笑うような態度を示したW大学の人間がいたが、きっとこのタイプだ。ケッ、死にくされ。
提出書類なども「自分が書きたいこと」ではなく「相手に良い印象を与える」ことを重視した文章を書く、非常に現代的な感性の持ち主。
其の参:バカ・ダメ人間型
基本的に就職活動に積極的でない人間。近頃大学生から減りつつある人種のように思われるが、それでも多い。就職活動イベントではごくたまに見られ、そういうヤツらは「なんとなく見ておいたほうがいいんじゃないか」ぐらいの感覚で来ている優柔不断組。来ていない奴らの半分はイベントの存在から知らない。半分は寝坊したからいいやぐらいの感じであると思われる。
だらけた生活を送っている割には世の中に公正さを求め、公正でさえあれば自分は突出した存在だと思っている。怠慢を純粋さでカバー、すなわち採用されない理由を採用システムに求める。あるいは社会システム(所謂本田透の恋愛資本主義だとか市場原理主義とか)に求める。と言いつつ少しは自覚しているふしもある。
さて私はどれに当てはまるでしょう。
間違いなく3番目ですね。
でも正直、普段は気の向くままに、東浩紀の言うような動物的な生活をしている人間と言うのは非常に幸せなのではないかと思います。
社会のシステムに合わせて金儲けマシーンを選択することが勝ち組だという価値観が蔓延しているようですが、いくら金があってもそれを使う時間がなければ意味がない。僕にとって何が理想かと言えば澁澤龍彦の暮らしです。自分の豊かな趣味に生きる楽しみを見出す。
まあもちろん趣味に費やすお金がなければそれも実現しないわけですが、そんなに金がかかる趣味って何?
車なんかはお金がかかるだろうけど、あれは所有によるステイタスが多分な要素として含まれる、すなわち金を使えば使うほど満足する類のことだと思うので、趣味と言うのとは少し違うように感じます。あ、もちろん趣味として成立しているケースもあるとは思いますが。
正直、結局世に言うセレブの人たちや西海岸の人たちはロハスとか、何かそういう小奇麗なライフスタイルにおさまっているだけで、僕の目からは何も面白そうに見えません。休みはリゾート、とかいっても何十年も綺麗な海とかばかりを見ていたってそればかりじゃ食傷になるでしょう。
それよりも一度サド侯爵の城に行ってみたい!とか、ヤン・シュヴァンクマイエルのスタジオをのぞいてみたい!とか、そういう自分の興味を満たすほうが楽しそうに思えます。でもそれにしたって莫大な金がかかる訳ではなく、むしろ時間の問題のほうが大きいように思われます。
つまりオタク生活肯定宣言、聖ベネディクト以前の西洋貴族万歳、ニートこそ現代の貴族だとか究極的には考えてしまうのですが、まあそこまで無軌道に生きるのは現実的ではないので、そこそこの収入と、そこそこの時間があるのが一番いいのではないかと考えます。
三浦展は下流社会の人間の代表的なイメージとして、「パソコンの前に座り、ペットボトル飲料水を飲み、ポテトチップスを食べ、インターネットをしたり、ゲームをしたり、メールを打ったりしている」ような姿を例として挙げましたが、僕からしてみればそれが最高に楽しいと思える訳です。
これが下流社会だと揶揄される生活の典型例だとしたら上流社会の憧れるべき生活とは一体なんなんでしょう。僕の脳内モニターにはステイタス重視の薄っぺらいサワヤカイメージやキャバクラで散財みたいなイメージしか浮かんできません。それに比べ下流社会の生活のなんと重厚なことよ。
日本は金より人を重んじるダメ人間社会であったのに、ここの所いわゆる勝ち組と呼ばれる守銭奴が社会の憧れとして熾烈な競争を誘発するような風潮が生まれてから、ますますダメ人間のような純粋な感性の持ち主は生きづらくなっている様に思われます。ダメ人間同士が連帯して国を豊かにしてきたのに、そのダメ人間同士が争いを始めれば、何か良くない方向に進んでいくんじゃないかなあとか思うんですが、まあ詳しい話は分かりません。
とにかく就職活動と聞いてテンション下がりまくりの人間こそ人間らしく、その他は周りの見えない不気味なぐらい明るいやつか、賢しげで気に食わないやつかどっちかってこった。ダメ人間が一番愛着あるよ。
そうそう、なんでこんな事を書いたかって言うと、書類審査で落とされたからです。ムカつく。
あっちからリクナビとか通じてバンバンメール送ってきまくるのに、こっちから向かってみれば袖にしやがる。こんなに腹立たしいことはないですよね。あんたらの所為でメールボックスパンパンだっつーの。こんな歪んだ状況、裏でなんかあるに違いない。リクナビの陰謀だよ、きっと。