バレンタイン・デー

今気づいたけど、今日はバレンタイン・デーですね。初めに言っておくと僕は100%貰えません。別に喪に服しているとか教条的な事は一切関係なく、そう断言できるほどに普段から女性との付き合いがないからです。女性と話すことが出来るのは年に一回あるかないかの同窓会ぐらいですね。同窓会は言うなれば僕にとっての七夕みたいなものです。

バレンタイン・デーがバレンチノ司祭が処刑された日である事は近頃広く知られているみたいですね。バレンチノ司祭は兵士に結婚を禁じたローマ帝国に隠れて兵士を婚姻させていたので処刑されました。だからバレンチノ司祭が恋愛のシンボルとして、2月14日が恋人同士のなんかこう・・・アレする日になったそうです。それに日本の製菓会社が「バレンタインの贈り物としてチョコレートをどうぞ」っつったので日本でバレンタイン・デーにチョコレートを贈る習慣が出来たのだそうです。

それが今や日本のチョコレート消費量の1/4を占める日になったのだから凄いですね。最近外に出ずに引きこもっているので分かりませんが、日本で盛り上がるイベントとしてクリスマスと並ぶんじゃないでしょうか。やっぱ恋人たちのイベント、恋愛に関連したイベントは盛り上がるものなんですね。恋愛って凄い。

しかし、今日本は恋愛という価値が以前ほどどーでもよくなっているんじゃないかという気がします。正直僕のような普段からぜんっぜん女性と喋る機会がない人たちって言うのは結構多いと思うし、生涯未婚率もどんどん上がっているようですし。40歳の童貞は1割で20歳の童貞は3割です。

多分恋愛という価値が以前より下がったというよりも、長い目で見たら恋愛という価値がちょっと前ぐらいに盛り上がりすぎたんでしょうね。今は男性と女性の対立みたいなものが社会的にも強まっていると思うし、これから恋愛ブームもトレンドではなくなっていくのではないでしょうか。

セカチューみたいな純愛ブームももう去ったし、電車男でオタクとの恋愛もやったし、これからどーしたらいいのか。

ちなみに僕は恋愛シミュレーションゲームよりもアリスソフトみたいなのが好きです。何が言いたいかって、友達みたいな感じでやらせてくれる女性が好きだということです。マンガで言えばラブやんみたいなのが欲しい、やらせてくんないけど。しかしまあこんなことは世の男性諸兄の誰もが思っていることかもしれませんね。

ある種の「恋愛」という型にはまった付き合いに誰しも疑問を抱いていると思います。「どこからが浮気?」とかそんな議論が空転するのは実際恋愛というものに型がないからであるのに、どういうことかそれを定義付けようとする欲求があるらしいです。しかしその議論が空疎であることに気づいている人は多いはずです。多様性が現代であるなら、相互関係もその都度個人間で決定されるしかないんです。

つまり「恋愛」が存在できない方向に時代は進んでいます。「恋愛」が大勢に承認されるような形式だった時代は終わりつつあり、個人間の関係も多様化しています。女性が男性に対して「勘違い」などと言うけれども、それは女性側の一方的な私見を押し付けているものであり、本来はそこでもっと両者の合議が必要とされる、ようになる、きっとこの先。

「恋愛」が衰退したように感じられる事例で、ドラマが萌え化しているように思われます。僕の勝手な印象論ですが、もはやストーリーはどうでもいい。演技力なんてなくても俳優と女優が男女それぞれに人気があり、その二人が恋愛すればいい、って感じがあるような気がします。これはオタクの「萌え」に対するコミットの仕方と非常に近いような気がします。それにとうとう月9で「のだめ」とかやったしね。男性の上野樹里に対する反応も、僕のあずまんが大王の大阪に対する反応となんら変わらない気がします、暴論か。

でもまあ人間殖えないと困るし、このままオタクだらけになって誰も繁殖しなくなったら困るので、本当に危機になったときこそ「恋愛」の復権が必要なのかもしれませんね。