泣きゲー・ひぐらし・かまいたち

感動するかしないかは問題ではないような話

自分もオタだと自覚しているので、オタ側を弁護したい気持ちになったけれど、どー考えても僕も「エロマンガなら貸してくれよ」という人間に近いことに気づきました。

僕は泣きゲーはしません。単純に「感動できる」とかそういった話が好きじゃないからです。「Air」とか「kanon」とか「ONE」とか、なーんかやる気になりません。「CROSS†CHANNEL」はやったけど、あれは泣きゲーなんだろうか。むしろギャグ的な部分とかサスペンス的な部分に面白さがあるような気がするけども。

泣きゲーを形作る要素が

であるとすれば、「ひぐらしのなく頃に」は一般人に薦められるのでしょうか。ハードルは泣きゲーとどっちが高いのでしょう。

ひぐらし」にはエロがありません。いや、幼女の裸が無修正で出てくるけど、それはエロではないとして。

エロがないことはどういう何に繋がるか。

泣きゲーに一般的に持たれている「感動とかいってもどーせシコシコやってんだろ?そんなAVみたいなモンに感動とか求めてどうするよ」というイメージが消えます。すなわち「ひぐらし」の評価は泣きゲーと違ってエロという価値から解き放たれる。つまり純粋な面白さで評価されている、という事に近づきます。いや、そんなことないか。

次にインタラクティブ性。「ひぐらし」にはサウンドノベルとしては珍しく選択肢がありません。つまり本当に音が出る小説みたいなものですね。

僕が思うにエロゲに於ける魅力をインタラクティブ性に求めると言うのは諸刃の剣で、ゲームにプレイヤーの意思を介入することで責任が生まれてのめり込める、という話も分かるのだけれど、逆に「そういう小手先みたいな魅力で底上げしなければ薦められないものなの?」とも思ってしまいます。

つまり、「ひぐらし」はそれからも解放されます。たまに「ひぐらしなんてゲームじゃねえ」という話を耳にしますが、別にゲームじゃなくてもいいんですよ。

感動については、この記事によれば、こういったサウンドノベルはオタクコンテンツを読み解く特殊コードが必要だといっているらしい。たしかにオタク系サウンドノベルにはオタクネタも多く含まれるものが多いし、一般人がやるには恥ずかしすぎるようなシーンやあざとすぎる萌えが入り込むので、免疫のない人間がやったら血反吐を吐くかもしれません。

「しかし・・・」とここで続けるのがオタクのイタさではあるんですが、でも多分感動系と呼ばれる作品はきっとそれなりに感動することは出来て、その8割はテキストの出来がよいからだとも思うんです。それは僕もきっとそうだと思うのですが、問題は往々にしてその作品を自分の中で文学レベルまで高めて聖典のように崇め奉る姿勢で、外側から見て異常に映ります。なんかもーこいつのハマり方は中毒みたいなものなんじゃないかと思えてしまう。

僕の考えでは、こういう作品を持ち上げすぎる傾向がうざったく思われる原因ではと思います。薦め方が暑苦しくなってしまいがちなオタクのみなさんは、もちっと自分を抑えて戦略的に薦めることを覚えるといいのですよ、にぱ〜。あくまでエンターテイメント性や萌えで推した方が良い、と言うのも小説と同じ舞台で戦うのは見てきたとおり見くびられがちだからです。純粋にテキストが素晴らしいと思っても「めっちゃエロくてさあ」とか敢えて言うのが策士なのでは。ほんだら「エロ期待したのに全然でてこねーじゃねーかw。でもちょっといい話だよね」とかなるかも。わからんけど。

泣きゲーに限らずオタク系サウンドノベルの特徴はもーひとつあって、それは「キャラへの固執」ですよね、言うまでもないことだと思うけど。多分「弟切草」を萌えな感じの立ち絵ありで作って、パッケージもオタク系の絵で売り出したらイッパツでオタク作品になると思います。

「感動する」という評価が蔓延するのはインタラクティブ性の助けもあるからだろうけど、僕はキャラ萌えのせいでもあると思います。キャラにはまるからそれだけプレイヤーにとって物語の中での事件の重大性が増すわけで、単純な話、嫌いなキャラが死んでもどーも思わないけど、好きなキャラが死んだらショックを受ける、極端に言えばそういうことです。

オタクでない人もオタクに対するイメージは「二次元キャラに恋してる」とかそういうのがあると思うので、立ち絵(というかパッケージでもキャラとか)が出てくると、もうその時点で「キャラ萌えが売りなんだな」という印象を持ってしまうと思います。でもキャラがなければオタクコンテンツとして成立しないのは事実で、実際キャラ(少なくとも女性キャラ)が出てこないオタク作品なんてないんですよ。キャラに魅力を依存してこそのオタクコンテンツ。

なのでやっぱり「ひぐらしのなく頃に」は間違いなくオタクコンテンツで、竜ちゃんもそれを承知の上で書いていると思います。目明し編のお疲れ様会なんていうのは、まさにオタク的な作法のもとで作られてるし。

でも「ひぐらしのなく頃に」の魅力はオタクコンテンツであることを逆手に取った演出なのであり、それがハマりすぎたからこんなに怖く、異常さが際立つ作品になったのだと思います。前半の過度のオタク・エロゲ的日常パートがその布石であることは別にいまさら僕が言うことでもありませんが、そのパートが恐怖の演出だけにとどまっていないところも凄いと思います。

まあだから何だ。泣きゲひぐらし、どっちがハードルが低いかといってきたけど薦め方によっては泣きゲの「エロ」の部分が強みになったりするので、「ひぐらし」は特筆すべき強みがオタク内部でしか理解されないという事も考えれば、泣きゲの方が入り込ませやすいかもしれない。ただ「ひぐらし」の薦め方も直球ではなく、マンガやアニメなど、ノベルゲームより入りやすい所から誘導すると言うのも手ではあると思います(しかし個人的には原作をやってほしいので、ネタバレしないマンガの「鬼曝し編」を読ませて興味を引くやり方を推奨したいです)。

こんなことをグダグダ考えるのも僕がひぐらしの大ファンだからです。年末のコミケで貰った竜ちゃんのサインが家宝です。(とゆーかやっぱり好きな作品については冷静さを失ってしまうものですよね。)