萌え絵の洗練がオタクを増加させるか?(mixiより転載)

http://d.hatena.ne.jp/terasuy/20070205/p1

取り敢えず共感を覚えた。

昔のオタク絵というのは非常に古臭いのである、バカらしいことを言っている様だが。この中でも述べられているように「ToHeart」と「ToHeart2」では、同じシリーズであるにもかかわらず、絵柄が全然違う。もちろん前者は古臭く、後者はより今のメインストリームに近い。

進化と呼ぶのは非常に漠然とした感覚でしかないのだけど、その根拠となるのは前者の絵が(今の感覚からすると)下手に見えるからであろう。

下手であるか上手く見えるかは人それぞれの感覚に基づくのでこんなにいい加減な話もないとは思うが、では実際に進化してないかというと、このエントリでも述べられている通り、萌えが市場活動として過去に比べ活発になったのであれば、絵がより上手くなければならないという方向に向かうのは当然であろう。

昔のオタク、主にギャルゲやエロゲがまだアングラっぽく思われていた頃、今に比べてそのコミュニティは遥かに小さいものであったわけであるから、ある種内輪で共感を得られればそれで良かった時代というものがあったように思う、というかそれが当然であったのではないか。コミュニティの自己満足。

今ではオタクはかなり開かれた状態になっているので、そういうことは認められない。が、やはり一部分の、オタクのメインストリームになる事が出来ないコアでニッチで濃いオタクコミュニティでは内容が絵柄よりも優先されるためか、絵の巧拙が過度に重んじられることはない。

まあ要するに時代をかけてオタク文化の絵というものは洗練されているのではないかと思う。市場がそれを要求し、それが成功した為であるからか、オタクは増加している。

これから美少女が更に美少女になっていくのであれば、それに魅了される男性は増えるかもしれない。今まで絵の巧拙によってオタクが増減するなどと考えたことはなかったが、確かに「Kanon」であるとか「ToHeart」の時代には僕はオタクになっていなかった訳である。これらの作品と「あずまんが大王」を比べれば、オタク界の絵の移り変わりがイッパツで分かる。というか「あずまんが大王」の1巻と4巻を見れば分かる。

これが異常なことだと捉えるか三次元の延長として捉えるか、という事が問題になっているということ自体が非常に世も末だと感じられる訳だが、しかしモテずに女の子と関わりをもてない男であるならそれもしょうがない様な気もする。

キモい顔やキモい言動、キモい趣味、キモい体形など個人を形成するキモい要素は、整形を行ったり、その他怪しい手段でしか修正出来ないものが多く、またそのキモいという価値は外側から押し付けられたものであるから、本人には現実的にどうしようもないのである。

そうなるとやはり女性を獲得できない代わりに、自分の心を支えてくれるような擬似恋愛体験はどうしても必要になってくるだろう。思春期の女の子が恋愛小説を読んだり、OLがオシャレな恋愛ドラマを見て、

「私もこんな恋がしたい」

と思う事と似たようなことだと思える、僕からすれば。それが二次元か三次元かという違いがあるが。

ただ二次元も三次元も本質的には変わらないとは思うがテーマが二次元なので二次元の話をすると、ドラマは三次元でギャルゲーは二次元であるわけだから、「かわいい異性」のフォーマットが二次元として刷りこまれれば、三次元より二次元の方が可愛いという感覚は現実にあり得る、と思う。

それがさらに進化してどんどん可愛くなっていくのであれば、日本中の男性の大部分を二次元が魅了してしまうような時代が来るかもしれない。そうなるとただでさえ高い生涯未婚率やただでさえ低い出生率がさらに高くなったり低くなったりするかもしれない。その影響が二次元にとりつかれた男性の所為だと明確に示された場合、ある種焚書の様な政策が行われるかもしれない。

つまり、そんな世の中にならない為にみなさん僕と子作りしよう。