mixiについて僕が思ったこと(過去エキサイトブログに書いたものの転載)

http://jimaku.in/w/TjCXdlPQraI/oNBBI_1adKv

mixiは「やっちゃいけない、やっちゃいけない」と思いつつ、いつのまにか「えへえへぇえぇぇぇぇ、やっぱmixiは最高だぜぇぇ」という如何にもな中毒性を持っていて、ある部分でとても危険だと思います。

その中毒性の源泉はなんなのか。

それはコミュニケーションに他なりません。コミュニケーションがなければ誰もmixiなんてやらない。そしてそれは個人情報の交換を骨子とした、いわば既存のネットコミュニケーションより、より濃密だ、というところがミソです。

中学生が泣いてすがるほど携帯を親に強請る様に、人間にとってコミュニケーションとは大きな部分を占めます。コミュニケーションなしに人間は生きられない。

さて、現代の人々は核家族化だの共同体の崩壊だので、かつてのコミュニケーションは崩壊し、ツールに対応した新たなコミュニケーションが生まれてきました。それは一時期プリクラやカラオケだのだったのかも知れない。それが今はケータイやネットという所謂サイバースペースに回収されてきています。

ネットでは初期にチャットなどが流行りましたね。しかしそれも廃れ、今度は2ちゃんねるを代表とする掲示板サービスがネットの代表的なコミュニケーションの場となりました。ところが2ちゃんねるは幾分アイロニカルなコミュニケーションの場として定着し、当時そこまでネットに対して明るくない人々は、そのイメージをオタク的なものと捉え、自ら近づこうとはしませんでした。自分たちに分からないあの人たちはきっとどこか異常に決まっている、と。

(ネットでアイロニカルなコミュニケーションの場が定着したのは、「大きな物語」崩壊前のコミュニケーションの代替としてのネットの不可能性への嘲笑だったのではないかと思いますが、実際どうなんでしょう。)

あるいは匿名のままのコミュニケーションなんかが新奇的過ぎたのかもしれません。当然僕たちは今まで顔をつき合わせてする、あるいは少なくとも顔を知らない相手じゃないと安心できない、というコミュニケーションが一般的であったからです。

そしてSNSが生まれました。

SNSはネットの匿名性を排除し(実際そうでもないのだけど)、個人情報の交換を基盤としたコミュニケーションの場を形成しました。ここでは従来のネットコミュニケーションとは違い、確かに相手が存在します。そこにコミュニケーションとしての実感が生まれ、それがふくれにふくれて今のような大人気、というところに至ったのでしょう。

しかし僕はやっぱりダメだと思います。

何がか。

それはコミュニケーションという表層だけに捕われ、中身が空疎になっていると思われるからです。

mixi上にはどうでもいいような日記がゴロゴロ転がっています。

「今日××××でケーキを食べてきたにゃ〜☆超おいしかった〜」

みたいな。

こー言ったいかにもベタなコミュニケーションが横行しているのであって、何と言うか「知」の様なものを感じられません。クオリティに対する志向が見られない。

そもそも日記を人に見せるっていう行為とは何なのか、その考え方が、mixiとブログの大きな違いです。

先ほど述べたようにmixiの日記は「ベタ」が多いです。ベタとは単純に何の思慮を挟むことなく目的へと向かう行為のこと。つまりコミュニケーションの為の日記であるから、中身は問われない、というか問われる必要がないのです。

対してブログは「ネタ」的なものが多い。ブログは打てば響くものではない。だからブログは主体性にでなく、書いたネタに重点をおきます。簡単に言えば主体性を必要としない(されない)コミュニケーションがブログであって、このブログがあふれるネットの中で、「学校に行くのがだるくてさぼっちゃった☆」とか、まあそれの全部が全部ダメなわけではないでしょうが、まああまり要求されない。

翻って言うと、要するにmixiは「主体性があればオッケー」、もっと言えば「個人情報があればオッケー」みたいなところがあって、それぞれそういうデータが互いに通信を繰り返すこと自体によって、寂しさを紛らわせている、というのが現在のmixiの大部分の役割になっているように感じられます。個人情報が主体性を保証、ひねくれて言えば主体性を個人情報に仮託している、ということですね。

元来SNSはビジネスなのど情報交換をするコミュニティとして発足したらしいそうで、現状と比較すると、今のSNSは昔の形態から情報を差し引いたものになっています。それを補完する形でmixi内に「コミュニティ」が出来たのでしょうが、結局そこでも作られるトピは「はじめまして!」とか、そういうものにしかならない。ユーザーの認識が甘い。

それが滑稽で惨めだから、「mixiで日記を書いているやつは気持ち悪い」的な批判があるわけで、まあ大筋は賛同します。

ただ、mixiの(過ぎ去った?)可能性に寂寥の感を抱いてしまう部分もあって、mixiの構造は高いクオリティを保持し続けられる構造というものと、やはり紙一重なのではないか、という気もするんですね。

個人的にはmixiでバカらしい日記をひたすら書き続けて連日コメント0件だった時もそれなりに楽しかったような。露悪趣味的な欲望を満たしたり悪ふざけしたりする場には良いと思う。てか全ては使い方次第。つまらないのは全て易きに流れるユーザーの責任。