電気の恋人

友達に薦められてMOSAIC.WAVの「電気の恋人」という曲を聴いてた。確かに良い。

歌詞が非常に秀逸なのだけど、これを聞いてるとふと考えてしまう。

最近の世の中にはリアリティが無いと言うけれど、じゃあ夢を見ているのかというと世間の風潮としてそういった雰囲気は感じられない。

では過去の所謂古き良き時代にはリアリティがあったのだろうか。僕はその時代を生きたことは無いので特に「空気」といったライブ感覚は分からないが、所謂この「電気の恋人」に出てくる、これからの可能性を信じられた時代にはきっと「夢」があったのではないかと思う。

つまりリアリティがあろうが無かろうが、少なくとも今はリアリティも無い上に夢も見ない時代なのではないかという気がする。これはリアリティがあったかどうか知らないけれども、確実に「夢」はあったであろう過去の時代に比べたら少し寂しい事であると思う。

ここら辺の話は所謂「理想の時代」「虚構の時代」という話に繋がるけれど、時代的には特に一致しない。もしかしたら今の時代を未来から振り返れば8bitの時代のように懐かしく感じるのかもしれない。

要するに見過ごしてた景色はおっくせんまん!という事なのかも。

とはいえ、実際はただ過去が美しく見えるだけであるという単純な話でもないような気がする。

ちなみに僕はこの「動物の時代」と東さんが言う状況にかなりのリアリティを感じる。

最近はアニソン周辺の曲ばっかり聞いてるけど結構普通に良い曲と出会えたり、そんなに良い曲と思えなかった曲を聴いているうちに洗脳されてきたり、やばい方向に世界が開けていっています。