魔法の粉(た)

らきすた 何故こなたファンはキモイのか
何というかオタクになって良いところは、もうなりふりかまわなくて良いところだと思うんですよ。自分をオタクじゃないとするなら、自らの嗜好に対して目をそらして過ごさなければならないわけですけど、自分をオタクと認めてしまえば可愛いものを愛でたり、好きに萌えたりできる。しかしそれは対価として自分にキモさを課すわけで、大体のオタクはそこら辺を自覚していると思う。なので「何かに萌えるヤツキモい」という話は無駄に現実に立ち戻ってしまって損した気分になりますね。

以前ロフトプラスワンでの田中圭一岡田斗司夫の対談でオタキングが「かけたら男を美少女にできる魔法の粉が欲しい。伊集院にかけたい」って言ってたな。ちなみに僕もあったらぜひ欲しい。こなたはこの魔法の粉をかけて美少女になった、という事みたいですね。うん、別にアリだな。

まあ正直な話、好みの話だから云々言うこと自体ナンセンスなのだけど、素直に考えて自分の趣味に全くの理解を示さない彼女と自分と趣味の話について楽しく話せる彼女、どっちが良いのだろう。僕なら後者を選びます。趣味と自意識が(別に自らのせいではなく)強く結びつきがちであるオタクにとってこなたの様なキャラクターに惹かれるのは自然なことのように思います。

まあここまでは仰る事は別にそう悪いことでもないんじゃない?という事ですが、こなたへの愛が自己愛であるっていうのが良く分からない。こなたが美少女になった男性オタクだとしたら、「世の中の(多くの)オタク=オレ」という図式が成り立たないとおかしいですよね。でも実際のところオタクはオタクの中で色々仲良かったり確執があったりするだろうし、別にオタクが十把一絡げに同じ存在ではなく、むしろ個性は強いわけです。

例えば作中でこなたはかなりのオタクっぷりを発揮して、特撮から古いドラマまで深い造詣を示したり、同じ作品を複数買ったりするわけですが、おそらくこの様な行動をしている視聴者ってそう多くないはずなんですよね。こなたについて共感できないところも結構ある。まあそうじゃないとギャグアニメとして成立しないしね。

とは言え現実から目をそらし易きに流れているオタクの姿は安易に想像できますね、僕自身もそうだし。

しかしコミュニティ分化(筒井さんの言う文化のドーナツ現象)が進んでいる用に感じられる状況などを鑑みて、恋愛も趣味なんかに結びついたケースが多くなってくるんじゃないかな。というか既に純粋に「恋愛」といえばなんとなく成立してしまう男女関係というのは脱臼し始めていて、それが結婚したカップルの3組に1組は離婚するという現状になっていっているのではないかという話だと思うし。離婚というのは僕は無条件に良くないことだと思うから、話していて面白い趣味の合う友達みたいな女性との付き合いが恋愛においての価値観として敷衍していくとしたらそれはそれで良いと思いますね。

だから何というか性欲が旺盛なだけで「俺はどんなオンナでもかまわず食っちまうんだぜ・・・」という阿部さんのような人は、いや、まあ別にいいか。

まあ何というかこなたが幻想であることは分かっていて萌えているし、分かっていて彼女にしたいとか言っていると思うので、まあそんな事にマジになって弾劾しようとしなくてもって感じですね。オタクは往々にして女性に関して薄倖の人生を歩んできている事が普通の人に比べて少ないだろうから、慰めとしてのファンタジーって必要だと思うし。